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(1999.8.19掲載)

ファンの生の声

 インターネットのゴルフ掲示板なんかを見てると、批判だけというようなのをよく見かけるよね。フリートークになるとひんぱんにそれに出してくる人がいて、けっこうどぎつい話が出てくるんだよね。

 西遊記のおたよりコーナーがそういう点では比較的落ちついてるっていうのは、僕とか清水さんが間に入ってるからだと思うんだ。だから西遊記のおたよりコーナーは非常にいいバランスだなと思うんだけどね。

 清水さんのホームページのほうで意見を集めるページを始めたようなんだけど、ほんとうはジャパンゴルフツアーのホームページを使ってやってたほうがいいかも知れない。だけど一つファンレター出すだけで名前から住所から何から入力しなくちゃいけなんじゃ、そこだけでめんどうでやめちゃうよね。

 だけど僕は、匿名とかペンネームっていうのはあんまりいいものじゃないと思ってる。やっぱりせめてイニシャルとかね。例えば千葉県TNさんだとか、東京のSIさんとか、あるいはいろんな、その人だとわかる名前があるわけじゃない。そういうイニシャルだけでもいいからやっぱり書く、出すっていうのは大事なことじゃないかな。

 じゃなかったら、匿名であれば、ほんとにあることないこと書けるし、悪口だけでも書けるしね。それはやっぱり以前から言ってるように、発展的で良好的な発展型にはならないよね。だからファンの生の声が上がっていって反省の材料になったり、あるいはほんと励みの材料になったり、あるいはうれしい材料になったりするというのがベストだよね。

 JGTOという新しい船ができて、その船のこぎ手がいまたいへんなんだ。批判するのは簡単だけど、みんながんばってるんだよね。来年から新しいTPCができる。本当の意味でPGAと新しいツアーで太いパイプラインを作って成り立っていかないと、本当のいい試合にならないと思う。現実には分かれたしこりっていうのは残ってるから、たいへんはたいへんなんだけど、各々分担責任・役割を理解してる人は多くなってるからだいじょぶだと思うけどね。


(1999.8.18掲載)

頭が下がる人ばっかり

 自分が特に尊敬に値しないような人間だから、まあそこまで言うと、それは自分自身にしかわからないことだけどね。やっぱり自分のことは自分がいちばん、ある意味ではわかるよね。でもある意味ではわからない。自分自身のことは、わかってるようでわからない。でも人がわからないとこわかるわけだ。

 そういうこと考えると、自分ってたいしたことないよなぁと、自分はまだまだほんとに半端だよなぁっていうふうに思うんだけど、いろんな社会で生きてる人達の中で、あぁこの人尊敬できるなぁっていう人がいるんだよね。

 たぶんその人達も自分のことを、いやぁそんなふうに尊敬なんかされたら恥ずかしくって、いやそんな尊敬に値する人間じゃないよって、その人達もそう思うだろうけどね。でも純粋に偉いなって思う人がいるんだ。

 一昨日から書いた山内さんは、ほんと挫折から立ち上がってきた。ゴルフと商売は違うけど、でもなんか通じるというか、あぁたいへんだったろうになぁ、よく戻ってきたなぁとか思うんだ。今でももちろんたいへんだろうけどね。かず君はかず君で、店をリニューアルするのに多額の借金をして、ここからがんばろうとしてるわけだ。

 彼には小さな子供、小学校低学年の子供二人いて、これがまたぷくぷく太ってるんだけど、あの二人の子供、年子だったかなぁ。1つか2つしか離れてないんだね。こういう小さい子がいる中で、やっぱり多額の借金をして、そしてリニューアルして、すっごいお店を作った。

 でがんばってる。ほんと頭が下がる人ばっかりだよ。ほんと、右を向いても左を向いても、よーく見れば偉い人がいっぱいいる。うん、僕もがんばろう。


(1999.8.17掲載)

兜の緒を絞めて

 山内さんにキャディをやってもらうといっても、やっぱり日本オープンじゃどうやったって無理だから、とにかく地元でトレーニングして、地元でやる試合、それからすぐやるっていうわけにいかないし、トレーニングする時間を稼げなきゃいけないから、ちゃんと体を作っておいてくれという話になって東海クラシックでということになった。

 彼はゴルフもすごく上手なんだ。ゴルフもハンデ3ぐらいまでいかれた方で、ほんとゴルフが好きで好きでやってた人なんだけどね。で月曜日にもう20何年来の、それこそもっと古いかず君の、元々はお父さんお母さんをよく知ってたんだけど、その鳳竜閣で出陣式をやろうと。

 出陣式っていったって、別にどんちゃん騒ぎじゃないよ。ただ、かしこみかしこみっていうことで、みんな気合いを入れてがんばろうなっていう感じのやつね。別にお酒飲んで大騒ぎしてってことじゃなくて、みんなで気合いを入れて、兜の緒を絞めてってことでやるんだ。

 ただなんていうのかな。やっぱり1年2年、あるいは2年3年・・・5年っていうつきあいじゃ、昨日書いたようなそういう涙も出ないよね。やっぱり人と人っていうのは、袖すりあうのも何かの縁とは言う。でも袖と袖がすりあって何かの縁だけど、その場だけで終わってしまう縁もあるし、そこから大木に成長するような縁になるのもあるよね。

 ちょっとした雨とか風でぽきっと折れて、あぁ死んじゃったなっていうそういう木にもなるかも知れないし、なんか風雪を耐えて、そしてこう年輪を重ねて大木になるような縁っていうのもあるよね。

 だからやっぱり人と人との縁っていうのは大切だね。いままでも西遊記の中でも何回か、たぶん山内さんの名前も出てるとは思うんだけど、かず君とか山内さんとか、自分には恵まれすぎた友達だなぁっていう感じがするね。


(1999.8.16掲載)

一筋の涙

 東海クラシックは、まためちゃくちゃすごい話になってるんだけど、名古屋に20年来の友達で山内さんっていう人がいるんだ。その人は元々がお寿司屋さんだったんだ。なんか友達はだいたい食べるところに関係があるんだね、みんな。でその山内さんっていう方がいるんだけど、この人は年齢が50歳ぐらいかな。確かジャンボと同い年じゃなかったかな。

 彼は20年来の友達で、途中で会社関係でいろいろあって、山あり谷ありの人生だったんだ。でもそこからまた立ち上がってきて、ほんと立派だと思うんだけどね。立ち上がってきて、今はゴルフ場のレストランとか、スキー場のレストランとかいろいろやってる。

 その人がずっともう東海クラシックがあればずっと火曜から日曜日まで、中日クラウンズがあったら中日クラウンズがあったで火曜から日曜まで、月曜から日曜までかな。ずっとその週は応援っていうか、もう車で駆けつけて、それこそ朝から寝るまでずっと応援してくれる人なんだ。ホテルに帰ってじゃあおやすみって言う時までずっと一緒って感じだね。

 でこないだ、山内さんキャディやってみる?って言ったんだ。レイクグリーンでギャランがあった時かな。その時に春日井に味香美っていう和食のレストランがあるんだけど、鈴木亨とかも一緒だったんだけど、そこで食べた時に、山内さん20年経つけど、そうだね、1回ぐらいキャディやってみようかって言ったんだ。

 そうしたら、急にシーンとしちゃって、どうしたのかなと思ったら、もう目が潤んでる。山内さんどうしたの?って言ったら、自分からは言えんかったって言うわけ。自分からは言えなかった、でも本当に昔から、一度はプロのキャディバッグをかついでみたい、それが夢だったんだって言うんだね。

 もうほんとに一筋の涙がつーーーっとたれてたんだ。あれ、山内さんそんなふうに思ってたの、じゃあやろうかって言う話になったんだ。


(1999.8.15掲載)

夏祭りたけなわ

 ほんと各地で夏祭りたけなわだね。花火もあっちこっちで上がってて。トミーチャレンジが終わって、ジュニアのクリニックが土曜日にあったんだ。でその帰りの新幹線は、ちょうど夕方の新幹線だったんだけど、何カ所も花火大会やってるんだ。浜名湖でやってて、静岡でやってて、新富士駅の近くでやってて・・・すごかったね、あっちこっちでやってて。

 で河原を見ると、コンビニで売ってるような普通のちっちゃな打ち上げ花火もぱんぱん上げてて。あっちでもこっちでも花火だらけですごかったよ。東京も隅田川や江戸川の花火があるけど、なんか東京って花火シーズンになるといいよね。多摩川なんてのもあるのかなぁ。

 話は変わるけど、東海クラシックは、ちょっと月曜日におもしろい出陣式があってね。豊田市内にある鳳竜閣っていう、もうむかーしっから、これはそれこそほんとに24、5年になるかな。割烹旅館があったんだ。そこにいちばん最初に東海クラシックに出た頃、プロになり始めの頃からずっと泊まってたんだ。最近でこそ豊田の別なホテルに泊まるんだけどね。

 未だにその鳳竜閣は、ほとんど毎日っていうぐらい、試合がある時は行くんだけど、そこの二代目、榊原っていう、通称かず君っていうんだけど、かず君がいま二代目でがんばってる。年はもう40歳ぐらいになるのかなぁ、39か40ぐらい。彼の仲人もやったんだけど、彼は中学ぐらいからずっと応援に来てたんだ。試合を見に来てね、中学か高校1年ぐらいかな。

 で彼の鳳竜閣っていう割烹もリニューアル、建て替えて、割烹旅館じゃなくて割烹だけに変わったんだ。ちょうど矢作川沿いにあるんだけど、すごく桜がきれいなところでね。そこで月曜日、出陣式があったんだ。長くなるから明日にしよう。


(1999.8.14掲載)

40センチの岩魚

 先週のトミーチャレンジはプレーオフになって、服部直樹君というのがプレーオフ2ホール目で勝った。もう1人は関西から来た人だったねんだけど・・・名前ちょっと度忘れしちゃった、ごめん(苦笑) まあ服部君がとにかく優勝したと。彼は今年9試合ツアーのほうに出たんだっていうんだけど、9試合全部予選落ちだったんで、この賞金がほんとちょっと足しになって助かりますなんて言ってたね。

 名倉のコース自体は、ずいぶん年数が経ってきてから落ちついてきたね。ほんと最初よりもどんどんどんどんよくなってきたから、毎年行くと、なんか毎年落ちつきが出てきてるなというのを感じるんだ。今回のトミーチャレンジは根本さんに手伝いに来てもらって、ほんとご苦労さんでした。ほんと助かったよ。

 先週はちょうど始まる前に、ミズノのドリームカップの試合が火曜日にあったんだ。東京国際でね。キャンピングカーで行ったんだけど、火曜日終わったのが夕方だから、途中までしかいられなかったんだ。で中央道で名倉に向かってずーと行って。でゴルフ場の近くにきれいな川があるんだ。

 で水曜日の昼ぐらいから、その川を潜って魚を捕まえたりしてね。まあ自分と泉谷君ともう1人研修生が行ったんだけど、この研修生が40センチぐらいの岩魚を捕ってね。40センチだよ。でかかったよ。しかもいきなり、入って5分ぐらい経ったら、プロ捕りました!って、もう、うぉ〜〜!って感じだったよ。

 結局、合計で1時間半ぐらい川にいたんだけど、最初の5分でそれを捕って、あと25分ぐらい経った時に川の激流に流されて・・・危うくほんと水難事故に遭うところだった(苦笑) もうたいへんだった。でも水もきれいでね、冷たくてほんとにきれいだった。命の洗濯っていう感じだったね。


(1999.8.13掲載)

今年は賭けてみたい

 とりあえず今週は小樽に行ってきます。日本オープンの練習ラウンド。練習ラウンドに行って、金土とちょっと回ってみて、下見してこようと。ちょっと今年は賭けてみたいんで。今年は雅生も自力で出場権取ったから、一緒に練習ラウンド行ってきます。

 さて、オン・ザ・グリーンの会議室のログはこれまで通り僕のところに送ってもらうように清水さんに頼みました。遠征先に行って読んだりするのが楽しみなんだよね。それから、新しいツアーに対して、建設的な意見があったらまとめておいてというのも頼みました。会議室への発言の中にそういうのがあったらいいね。清水さんのホームページでも新しくそういうコーナー作ったそうだから、そっちでもいいし。なんか清水さん、どんどんどんどん前進してってるね。

 あっそうそう、ドロップの件でなかなか自分の頭の中で絵が描けないっていうおたよりがきてたね。何回拾っちゃったのかな?っていうようなおたよりだったんで、ちょっと明確にしておきます。で、どっか文章の中で、ドロップエリアにドロップしたっていうふうに書いてあるんだけど、ドロップエリアじゃなくてドロップする地点を決めたんだ。ドロップエリアがあったわけじゃなかった。

 まあそれはともかくとして、ドロップしたら、だーーと前に転がっていっちゃった。4メートルも5メートルも前に転がってっちゃったから、2クラブ以上転がったのは間違いないんで、拾ったと。でもう一度ドロップしたら、それがまただーーーといっちゃったわけ。でそれをまた拾った。だから2回拾ったんだ。で3回目にちょっと待てよってことで、そこで問題が発生した。

 ウォーターハザード越えたのはあそこだから、あそこを越えなければダメなんじゃないか?ってことで、えっ?そう?2クラブ以上転がったのに・・・ちょっと待ってよってことになって、競技委員が来て、でそれからはこないだ書いた話になったんだ。


(1999.8.11掲載)

パイオニアになれてよかった

 この西遊記をスタートする頃、ホームページ、あるいはインターネットに対して興味を示したプロゴルファーってほとんどいなかったわけだよね。それが2年何カ月の間にいろんなプロがホームページを持ったり、インターネットで活躍したりとかいうのを見てると、ある意味では目的は達成したね。

 要するにプロゴルファーがそういうところに関わってくるという、ある意味大局で言えばそういう大きな目的を達成したし、個人的に言えばそのパイオニアになれてよかったなっていうふうに思うんだ。

 あと1カ月か2カ月で終わりってこないだ書いたけど、シーズンの途中だから、やはりあまり切りがいいもんじゃないんだよね。で清水さんとも話をしたんだけど、とりあえず誕生日を目標にしようと思います。トミーチャレンジツアー最大の試合、トミーカップが終わってすぐ誕生日だから、そのぐらいが最適かなと。

 しかし、回数から言えば、人の10年分ぐらいやってるよねぇ。これだけの量っていうのかな、これはやっぱりどっかの図書館じゃないけど、どっかの本棚に入れておいたほうがいいと思うな。自分で言うのもなんだけど、ほんとすごい。まあ終わった後の置場所とかは、清水さんのほうで考えてくれるでしょう。

 まあ西遊記が終わっても、優勝とか、すごくいい兆しが出たり、知らせができる時はオン・ザ・グリーンのほうに出すから。オン・ザ・グリーンのほうに、やったよ!これこれこうだったよって感じで報告するから、その時はスペース割いてちゃんと出してもらおう(笑)

 あとはうちの家内が書いてる、なんかちょこちょこちょこちょこしたのがあるよね。こないだ、お父さんいつ終わるの?って言うんだ。私の分が終わるぐらいまでがんばってねなんて言われちゃって(苦笑) そっちはそっちで適当にやってくれるだろうけど、あれはあれでおもしろいよね。でも僕のコメントとしてはただ1つ。いいかげんにしろよって(笑)

 さて、次は何を話そうかなぁ。西安の門が見えてるからね(苦笑) 劇的なクライマックスと言いながらも、そんな大げさに話すことは何もないって感じだなぁ。


(1999.8.10掲載)

トミーチャレンジページ

 この西遊記も、確かにアクセス件数とか考えると、そんなにアクセスする人いるんだって思うんだけど、最初の時に言ってたよね。アクセスする人の人気だとか件数じゃないよねっていう話をしてた。それは僕はいまでも同じ気持ちなんだ。十数万になったのもすごいと思うけど、たったそれが100人だろうが50人だろうが、別にそれはそれでよかったと思ってます。

 まあ泉谷とも相談したんだ。ぼちぼち西遊記をやめにしたいんだっていう話をした時に、彼のほうで練正館のホームページを作ってるから、例えばプロが今何を使ってるかとか、プロが今どんなことをやってるかとか、例えばどんなチャレンジしてるかとか、そういうことは載せさせてもらいますと。

 だけどプロのコーナーを作って、プロのコメントを載せる、要するに西遊記が移動してくってことは考えないっていうことを言ってるんだ。それだったらそれでいいよと。例えば今ミズノのクラブのドライバーで何使ってるとか、そういうプロスペックみたいな形で出すのはいいんだけど、コメントを載せるってことはあり得ない。

 で、現在ここに掲載されているトミーチャレンジは、練正館のほうのホームページに載せることになると思う。泉谷は基本的に、今年のトミーカップが終わったら社長になるんだからそうしないとねぇ。いまんとこは形の上では僕が社長になってるけど、実際は彼が開発部長みたいな感じで、いろいろ動いてるんだよね。

 で、その社長というのを彼にして、彼がトミーチャレンジをずっと切り盛りしてくださいって言ってるんだ。だから当然そのチャレンジを切り盛りしてくとなれば、そのページはその練正館のほうのホームページに持ってこざるを得ないと思うな。


(1999.8.9掲載)

友人としての意見交換

 右手がやってることを右手がこうしてますって、左手に教えることはない。例えば、エスカレーターに乗ろうとしてる足の不自由な人がいる。目の不自由な人がいる。そういう人の手をさりげなくふっと持って、上まで連れてってあげる、あるいは下まで降ろしてあげる。それは当たり前のことであって、別にその手をひっぱっていったことを誰かに伝える必要はないわけだよね。

 今日、足の不自由なおばさんがいて、エスカレーターに乗せてあげたんだよ、いやぁ気持ちよかったよぉ、ああでこうで・・・いやぁ日本の政府ももうちょっとエスカレーターの作り方を変えてあげなきゃいけないよねとか、そんなことを言わなくてもいいんじゃないかなって思うんだ。

 だから、例えば雑談的に、1カ月に1回ぐらい、あるいは半年に1回ぐらいかもわからないけど、いやぁ実はこういう話があったんだよっていう世間話がしたいんだ。それを西遊記に載せるというんじゃなくて、いやぁ最近ね、政策委員会でこんなことがあって、これこれこうなんだけど、やっぱりどう思う?って、要するに友達というか友人としての意見の交換をしたいっていうのがあるんだね。

 だから、西遊記がなくなった、じゃあみなさん長い間お疲れさまでした、あるいは短い間だけどおつきあいできてありがとうございました、それじゃさよなら、じゃなくてね。

 だから半年間、あるいは1年に何回か、2回か3回かわからないけど、友の会オン・ザ・グリーンのコンペとかイベントとか、そういう場で、まとめてみんなそこで話をすればいいよね。要するに西遊記が始まる前にオン・ザ・グリーン会議室のほうでやってたことが、西遊記を経て1つ上にいくというかな。

 だから、そういうことで公人としての中嶋常幸の西遊記を終わりにしたいなっていう気持ちになったんだ。


(1999.8.8掲載)

公人としての中嶋常幸

 例えば夏だとか冬だとか、友の会の人達が集まってコンペをする、あるいは集まってバーベキューをするっていうことはできるよね。だから会員になってる人、これから会員になりたいと思ってる人は、活動を続けられる意志があるんだったら、このまま続けてってください。

 これからは西遊記を通じて報告するんじゃなくて、例えば清水さんとこに、夏場にこういうのやりたいんだけどやれるかなぁとか打診して、清水さんがオン・ザ・グリーンで、オン・ザ・グリーンの会員や西遊記友の会の人達に連絡すればそれで済むわけだ。そういう関係を全部なくしてっていうことを考えてはいない。

 西遊記友の会はもうスタートしてるし、自分も楽しみだし、いいなと思うんだけど、ここ、西遊記の中でしゃべっていくことが、ある意味やっぱり公人としての中嶋常幸として出る。それが独り言であろうと、ルールの話にしても思い出の話にしてもなんにしても、やっぱり公人として出てくよね。公人として出てくってことに対して、自分自身がけっこうこだわらない人間だったらいいんだけど、やっぱりすごくこだわるところがあるんだね。

 特にゴルフのことについて話す。これがゴルフのことじゃなくて、まったく違う宇宙旅行の話だとか、あるいはそのブラジルのアマゾンの奥地のああでこうでとか、そういうことだったらなんてことないんだけど、やっぱり中嶋っていうのはゴルフだから、西遊記見てる人もゴルフのことについて聞きたいだろうし、見たいだろうし、そういうことになってくるとどうしてもプロゴルファーとして、公人の部分しか出てこれない。

 だからその公人としてしか語れないという部分が、これ悪いように取ってほしくないんだけど、なんかそれが自分にとってプラスになってないような気がするんだ。自分自身がそれにこだわらなければ、なんてことはないことなんだけど、それにこだわるっていうところがあると。例えて言うと、右手でやってることを左手に教えることはないんだよね。


(1999.8.7掲載)

とんでもないって言いたい

 こないだとあるスポーツ新聞の記事に載ってたけど、僕が引退をにおわす・・・なんてことが書いてあったんだけど、とんでもないって言いたい。冗談が通じないのかなっていう感じ、通じないのかなって言ったらおかしいけど、自分にはそういうつもりはないし、いつも言ってるように一歩も足が前に出なくなるまでは選手としてやりたい。

 それが例えば、若い時みたいに毎週試合に出るってことが不可能としても、自分のコンディションを整えて、自分の調子を試合に合わせていって出ていこうっていうふうな感じに、まあ年齢ととともにそういうふうになってくるよね。体のコンディションの作り方っていうのは難しくなるから。

 若い時っていうのは、試合をこなしていってもコンディションが作りやすい。でもやっぱり35歳過ぎて、あるいは40歳過ぎていったら、どんどんどんどん肉体のほうのコンディション維持が難しくなってくるから、それに時間が取られる。

 でも自分が思うようなゴルフができなくなったから、じゃあ即引退だなんて、そんなかっこいい人間には僕はなれないし、もうほんと灰になるまで、一歩も足が前に出なくなるまでは、僕は選手としてやりたいっていう気持ちがあるんだ。だからその新聞記事を見た時に、おいおいっていうふうに思った。確かに人間だから、そういう弱気になる時もあるけどね。でもとんでもないぞっていうふうに思ったんだ。

 まあそんなこんなも含めてじっくり考えたんだけど、なんていうのか、ほんと、黙ってやりたいっていう感じになってきた。ただせっかくこういういい機会を設けてもらって、縁があってこういうことがスタートしたから、ホームページ云々はともかくとして、友の会とか、人間的なつながりはずーと続けていきたいんだ。


(1999.8.6掲載)

西安到着直前

 いままでこの西遊記を2年何カ月やってきた。でその間に、コンペとしてTFCを東松苑で冬やったりとか、夏は屋形船だとかバーベキューだとかいろいろやったりしてきた。で、そういう会は楽しみだと思ってるわけなんだけど、西遊記自体はあと1カ月か2カ月で終わりにしようと思ってます。だからここからの話っていうのは、いよいよ西遊記が西安に着く、三蔵法師が西安に着くぞというところです。

 この数週間、自分でいろいろ自分自身のゴルフというものを、ずいぶん考えたんだ。自分自身のゴルフっていうものをすごく考えるってことをしながら過ごしたんだけど、そろそろそういう時期かなっていうふうに思ったんだ。なんとなくそんな感じがしてきて。

 1カ月から2カ月ぐらいかけてクライマックスというかな、詰めていこうかなというふうに思ってます。正式な終了日は清水さんと相談してから報告ということになります。

 練正館のほうは泉谷がホームページを作ってるようだし、それはそれで勝手にやってけばいいわけだけど、僕が西遊記をやめて、練正館のホームページで何かをしゃべるっていうこともあり得ないし、そのホームページの中でやってこうとすること自体をそろそろやめようかなと思ってます。なんていったらいいのかなぁ、単に一人のプロゴルファーに戻てみようかなというのが正解みたいなところなんだけど・・・うまく表現できない。

 長年続いてきたことだし、非常に愛着もあるし、当時を振り返ってみても、あるいはおたよりを振り返ってみても、よかったなぁ、このページをスタートさせてここまできてほんとによかったなぁっていう気持ちもある。清水さんに毎日毎日手助けしてくれてやってきて、まあいろいろ助けられてここまできたわけだけど、あぁこれよかったなぁ、いいページだったなっていうふうに思うんだ。

 ただなんか、自分自身がこう、1人のプロゴルファー、ただ単に1人のプロゴルファーになってやってみたいっていうところに戻ってきたというところかなぁ。


(1999.8.5掲載)

なんだったんだぁ?

 じゃあ僕はなんのためにペナルティくったんだぁ!? 僕はそれで2ペナルティくったんだから、ほんとに。あのペナルティはなんだったんだぁ? ということは何? ルールって世界中バラバラってことかい?

 ちょっと西遊記で、USPGAツアーのルールコミッティに文句言ってくんない?(苦笑) ほんとにTPCでペナルティくったんだから。悔しいよね。2ペナルティ、2ストロークで何百ドルか何千ドルか返してもらいたいよ。

 あの時一緒に回ったのは・・・思い出した、ゲーリー・プレーヤーだ。その時の話を、マスターズの外国人招待選手のディナーパーティの時に彼が言ったんだよね。

「ルールは難しいから、ある状況においてはそういうことがあり得ると。いろんなルール的な誤解は選手としてあるんだけど、ウォーターハザードにおっこって、後ろにドロップして、それが前に2クラブ以上転がってっちゃって、再ドロップしたと。それでトミーはペナルティをつけられたけど、その時に彼は“サンキューベリーマッチ”という言葉を競技委員に言った。自分のルールの勉強不足でいろいろお手数かけて悪かったけど、この裁定をしていただいてありがとうございますというコメントをした。いかに東洋人がすばらしい心を持ってるか」

・・・というようなことを彼は言ったんだよ。間違いない。これ、僕の頭のメモリにはっきりある。だから僕はなんのために2ペナルティくらったんだと、声を大にして言いたいね、ほんとに。


(1999.8.4掲載)

番外:JGA裁定

 呼びましたぁ〜?(^_^;) というわけでのこのこ出てきた友の会の清水です。今回はプロのケースを日本ゴルフ協会で裁定していただきました。以下が質問文です。

1986年か1987年のUSPGAツアー「ザ・プレーヤーズ選手権」において、ウォーターハザードにボールを入れてしまった。プロはボールがウォーターハザードを横切った地点とホールを結んだ後方線上、約60ヤード後方にボールをドロップした。

その際ボールはドロップした地点からホールに近づく方向、要するに前に4、5メートル(2クラブレングス以上)転がってコース上に止まった。2クラブレングス以上転がったため、このドロップは無効だと思ったプロはボールをピックアップして再ドロップし、プレーを再開した。

ところがプレー終了時に、同伴競技者から、いくら前に転がっていっても、ウォーターハザードを横切った地点を越えなければ、たとえ何クラブレングス以上転がったとしても、再ドロップしてはいけないと言われた。競技委員に裁定を仰いだ結果2ペナルティとなった。

質問1:通常のドロップは落下した地点から半円状の後方線上が有効だが、このようにウォーターハザードからかなり後方線上(例では60ヤード後ろ)の場合、ウォーターハザードを横切った地点を越えなければ、ドロップ時に落下した地点よりホールに近づいてもいいのか?(要するに有効な区域は半円ではなく前方も含む正円になるのか?)

質問2:上記の話では明らかに2クラブレングス以上転がっているが、同伴競技者の言うようにウォーターハザードを横切った地点を越えなければ何クラブでもいいのか?

質問3:上記の例の再ドロップはしてはいけないのか? また2ペナルティは正しい裁定であったのか?

質問4:この例が起こったのはかなり前のため、その後3回(1988/1992/1996)ルール改正が行われているはずです。もしその当時のドロップに関するルールと今現在のルールが違っているのであれば、その差をお教えください。

これに対し、以下のような回答がありました。

(日本ゴルフ協会裁定)

質問1:規則26-1bやcの処置をし、ドロップした場合、球がウォーターハザードの限界を最後に横切った地点よりもホールに近い所に転がっていった場合は再ドロップをしなければなりません(規則20-2c(viii))

質問2:上記を満たしていても、2クラブレングス以上転がった場合は再ドロップしなければなりません。

質問3:2クラブレングス以上転がっていたのであれば再ドロップしなければなりません。

質問4:規則20-2c再ドロップに関する解釈は変わっていません。

 ということで・・・やはり中嶋プロがその時思っていたように、再ドロップするのが正解で、プロの措置はノーペナルティですね。以上でマイクをお返ししま〜す>中嶋プロ


(1999.8.3掲載)

確かにそういう説明を受けた

 あれは1986年か1987年のTPC。85年以上89年以前だから、これは間違いない。で池に入ったところから後方線上に50〜60ヤードぐらい下がったんだ。その下がった地点でドロップした。でそのボールが、前に2クラブ以上転がっちゃったんで、あっ前に2クラブ以上転がっちゃったと思ってドロップし直した。

 僕の頭の中では、ウォーターハザードの場合、最初の落下地点から前でも横でも2クラブ以上転がったら、もう1回再ドロップっていう頭はあった。普通のケースはホールに近づかずだけど、落下した地点から半円状の後方線上がセーフと思ってたんだけど、ウォーターハザードだから真円状だと。2クラブ以内の真円状。

 ところが落下した地点から前に、だらーと3クラブ4クラブ転がってった。あっいっちゃったいっちゃったと思って、もう1回ドロップしたんだ。そしたらウォーターハザードだから、クロスした地点を越えてなければ、要するに2クラブだろうが10クラブだろうが20クラブだろうが前に転がってってもいいと言われたんだ。確かに僕はそういう説明を受けた。

 ウォーターハザードに落ちた場合に、後方線上にドロップして、そのドロップしたボールが2クラブ以上転がろうがなんだろうが、そのクロスした地点を越えない限り、あるいは池に入らない限りセーフで、もうそのドロップは認められてるんだと。これで僕はペナルティを受けた。まぎれもなく2ペナルティくった。

 198x年のことだから、ルール改正されてるかも知れない。そうでなかったら、僕はノーペナルティだったよ。そのあたりからルールが変わってない限り、僕はなんでペナルティをくったのかわからないよね。逆に言うと、ルールが変わってるとしか考えられない。

 清水さん、ちょっと西遊記1回貸すから調べておいて(苦笑)


(1999.8.2掲載)

2ペナルティになった

 もう1つこういうことがあった。何年も前の話だけど、僕がTPCの11番ホールでセカンド池に入れちゃったんだ。でドロップするドロップエリアがあったのね。そのドロップエリアに下がっていってドロップした。でドロップしたんだけど、だーと、そうね、前に4、5メートル転がっていっちゃったんだ。

 もう完全に自分の頭の中で、あっこれは2クラブレングス以上行ったからもう1回だと思ってもう1回ドロップした。そうしたら同伴競技者からそれはいけない、ペナルティだって言われたんだ。ウォーターハザードをクロスした地点を越えない限り、2クラブだろうが3クラブだろうが10メートルだろうが20メートルだろうが前に転がっていってもOKなんだと。

 で拾い上げてドロップした。でこの時点で故意に触ったということで、まず2ペナルティ。でもう1回拾ったんだよね。要するに2回拾っちゃった。4ペナルティになると。1回触って2ペナルティ、もう1回故意に触って2ペナルティ、4ペナルティになる。

 で終わって、その時に一緒に回ってた同伴プレーヤーと、どうもおかしいと、あれちょっと待ってよと。僕も考えてみれば、これウォーターハザードだから、2クラブ以上行ったっていいのかな? あれ?っていう話になった。

 で同伴競技者と話をして、これはともかく終わったら裁定を仰ごうということでホールアウトして裁定を待った。そしたら一連の行為として2ペナルティになったんだ・・・という原稿を書いて、西遊記用に清水さんに渡したら、中嶋プロの行為はノーペナルティですよって言うんだ。でも僕はまぎれもなくペナルティ取られたんだけどなぁ(苦笑) 明日この時の状況をもうちょっと詳しく書いてみます。